星野有史 “研究所通信/ハーネスランド”

マリアのイラスト
 「ハーネス・ウィ研究所通信」のタイトル『ハーネスランド』は、天使犬ウィが暮らしていた故郷、理想の福祉社会をイメージした「共星=ハーネスランド」から名前をつけました。この星に住む天使達が協力し合って生活しているモデルを理想に、私達も心のハーネスを輝かせ、ともに助け合い成長できるコミュニティを願って発信するものです。
ソーシャル・ディスタンシング、この場合
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    ソーシャル・ディスタンシング、この場合


    白杖を突いてバス停に向かいます。
    コツコツ、コツコツ。
    「しまった!……ごめんなさい」
    すぐに謝って一歩足を引きました。
    バスを待つ列の最後尾に並んでいた人の背に衝突してしまったのです。
    もちろん人の気配をつかもうとスローで歩いていましたので
    軽くぶつかったにすぎません。
    けれどもそれを想定していない相手は!
    振り返って文句を言いそうになる手前でこらえたのが
    小さな舌打ちで分かりました。
    「何だ、目が見えないのか」

    列はやっかいです。
    長い時も短い時も。
    バスだけではありません。
    タクシー乗り場、コンビニのレジ、
    列までにはなくてもエレベーターに乗る扉の前でも。
    だから離れて待ったり、声をかけて教えてもらったり。
    「見えないんだから列なんか気にしなくていい。優先させてもらいな」
    そう言って事情を慮ってくれる人も。
    けれどそれがルールとしてあればいいですが、ない場所で甘えるわけにも。
    社会の決まりは守りたいです。
    今は白杖ではなく盲導犬と一緒なのでぶつかるまではないですが、
    最後尾につくことや、
    前進する人に気付けず後方からせかされることなど、
    やっぱり列は苦手だな。

    新型コロナウイルスの感染拡大にストップがかかりません。
    密閉・密集・密接を避けるよう促されていますが、
    なかなか実現するのは難しいようです。
    飛沫・接触による感染ですから、
    これらの条件を作らないことで予防できる、はず。
    そこでどう人との距離を取るかが課題に。
    カウンターにバリアを設けたり、
    入場制限や列の間隔を定めることで人が近付きすぎないようにする。
    いわゆるソーシャル・ディスタンシングの方法ですね。
    それは理解できますし、最も有効な手立てなのでしょう。
    けれど……。

    人と離れて行動しなければならないと言うことは、
    援助を受けにくい環境が生まれると考えられます。
    つまり、手引きしてもらうこと、
    そばで説明を受けたりすることが危険であることを意味します。
    これは困りました。
    やたらと誰かに声をかけても迷惑に。

    学校の仕事はオンラインで、それにスマホで買い物も。
    しかし、全てがネットで事足りるわけではありません。
    毎日の食料品は買い出しに。
    でも、人を頼らずにできるかと言えば、難しいですね。
    私の場合は家族に任せればよいですが、独り暮らしだったら無理でしょう。
    どこに消毒液があるの?
    手にしたものは戻さないように、と言われても
    触らなくては分からないものだって。
    それに接触を避けるため無人のレジになったら、なおさら分かりません。
    完全にお手上げです。
    こうして不自由を余儀なくされている人は視覚障害者に限らず、
    サポートを必要とする多くがその状態に。

    私は福祉の研究・教育に携わっています。
    そこでは人のつながり、援助関係の原理・方法について述べてきましたが、
    新型コロナウイルスの予防策において、
    物理的な関わりをあえて作らないやり方は全く逆のベクトルであり、
    辞書にはありません。
    たとえば福祉施設での介護は身体接触が基本であって、
    遠隔サポートなど不可能なのです。
    もちろん、心理的な意味で適切な関係を築くための距離感は必要ですし、
    遠く離れた場所にいても心の結びつきを強く感じるケースもあります。
    けれど、ソーシャル・ディスタンシングは実際の身体的隔たり、
    バリアを作って分けるわけですから、
    誰かの手を必要としなければならない人にとっては
    生活、いや、生命そのものを脅かしかねない事態といってよいでしょう。
    そのリスクは援助する側においても同様です。
    これがふれあいだとか、
    共生だなんてきれいごとを言うつもりはありませんし、
    むしろ共倒れです。
    ならば、どうする、この場合。

    残念ながら妙案はありません。
    消毒液もマスクも手袋も防護服も足りず、
    検査さえ十分でない現状にあっては
    感染しないよう祈るしかないでしょう。
    虚しいばかりです。
    ですが……。

    新型コロナウイルスの感染が広がり始めた2月初旬、
    画期的な記事を読んで未来にドキドキしたのを思い出しました。
    視覚障害者を目的地まで誘導するロボット「AIスーツケース」の開発です。
    (2020,2,7. 日本経済新聞)
    これは地図データを基に自動走行、
    周囲をカメラやセンサーで認識し、クラウド上で処理、
    人・障害物の情況を使用者に音声や振動などで伝えるというもの。
    将来は顔認証技術で知り合いを見分けたり、
    表情を読み取ったりさせようというのですからビックリ!
    ならば人に衝突することもなく、
    列の最後尾に並んで
    適切なソーシャル・ディスタンシングを保つこともできるか。

    AIスーツケースの技術は認知症の高齢者をサポートしたり、
    車椅子の自動運転などにも。
    少しずつ福祉が変わり、
    自立できる人が増えれば援助の必要もなくなります。
    もしかしたら盲導犬も!
    ロボットが介助することで身体接触のリスクも回避される。
    ソーシャル・ディスタンシングが可能になり、
    ウイルスからも身を護れるでしょうか。
    とは言っても先の話ですね。
    今は治療薬もワクチンもないのであれば、
    何とかできる精一杯のウイルス対策を施し、
    乗り切るしかありません。
    人は助け合えます。
    最小限の外出、最大限の心理的つながりを持って……
    共生は可能だと信じたいです。


    <星野有史>



    | 星野有史 | - | 00:30 | - | - | - | - |
    STOP 医療崩壊
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      STOP 医療崩壊


      中学2年生の時だった。
      野球部の練習中にボールが見えにくくなって捕球するのが難しくなった。
      数日後、目に痛みがあり、教室では机に伏せてこらえる。
      それが始まりだった。
      地域の眼科医から大学病院を紹介、詳しい検査を受ける。
      難病だった。
      原因不明で決まった治療法もない。
      それから3年後に全く光を失う結果に。

      これは運命だろうか。
      何がいけなかったのか。
      原因も分からないのだから対処の仕様もない。
      仕方がないのだ。
      あきらめるしかないのだ。
      認めるしかないのだ。
      そんな気持ちに意外と早くなれた。
      どうして?
      自分でもよく分からないのだが、おそらく……。

      私は日本の医療技術、医療制度に信頼を置いている。
      課題はあるにしても
      最先端の医学、行き届いた健康保険の仕組みには安心できる。
      原因が分からない難病であっても、
      できる対症療法、できる医療費補助を受けて……、
      それでも視力が回復しなかったのだから仕方がないではないか。
      現在では研究も進み、薬が開発されて改善の見込みも高まった、と。
      でも、当時は当時なりの医療で、十分に。
      だから割り切れる。
      納得できる。
      リセットできる。
      しかし今、この医療が崩壊の危機に!

      新型コロナウイルスが猛威を振るっている。
      適切に対処しないとウイルスが猛スピードで各地に広まっていくだろう。
      高齢者や持病がある人に限らず、多くの犠牲者が。
      医療のキャパシティーを超える重症患者が発生、
      病院は機能不全に。
      そうすると他の疾病患者に対する治療が滞る。
      想像するだけで恐ろしい。
      十分な医療も受けられずに命を終えなければならなくなることが。

      最高の治療を受けて、
      それでも助からなかったのであればやむを得ないとも。
      けれど、医療崩壊により診てもらえず、この世を去る。
      納得できる死などないだろうが、
      尊厳ある死、医療を受ける権利は誰にでもあるはず。
      しかし、それは確立されたものではなく、
      一人ひとりが協力して助け合わなければ実らない保障でもあるのだ。
      手洗い、うがいは基本だが、
      国や地方自治体が要請している不要不急の外出、
      集団での関わりなどを自粛、
      感染を広めないようにするしかないだろう。

      春はイベントの多い季節。
      私が講義する短大の卒業式も入学式も中止になった。
      個人的な計画も。
      その一つが『AI崩壊』の映画に行く予定。

      この映画をシアターで、と思ったのにはこんな理由が。
      医療AIの崩壊。
      時代は2030年。
      高齢化と格差社会が進展、
      人口の半数近くが高齢者と生活困窮者に。
      そんな社会にあって医療AIが国民の個人情報を管理。
      だが、突如としてAIが暴走。
      人間の生きる価値を選別し、殺戮を始める。
      AIを暴走させたテロリストとは?

      この映画は入江悠監督による完全オリジナル脚本なのだが、
      公開前に映画をノベライズした小説本が!
      講談社文庫より浜口倫太郎(著)で出版、それを先に。
      AIが年齢や収入、病気、犯罪歴などを管理して成り立つ近未来。
      そこに命の選別、生きる価値というテーマがかぶさるのだから、
      映画館でそのはらはら・ドキドキ感を味わってみたくなるではないか。
      スマホで音声解説を聞きながらの鑑賞も可能だったのに。

      新型コロナウイルスはスポーツも音楽ライブも学校もお花見も、
      働き方や生活の在り方までも変えた。
      まるで人類を嘲笑しているかのように。
      治療薬やワクチン開発、経済保障に期待したいが、
      等しく重要なのは
      人々の思いやり、命の尊さを大切に手を差し伸べ合うことなのでは。
      コンピュータ技術が進歩していく中で
      今の医療もやがてAIにより管理、健康が保たれるような時代になるか?
      けれど、そこに未知なるコンピュータウイルスが侵入し、
      不正プログラムによって命が脅かされる危険性も。
      自然発生的なウイルスに加え、人為的なウイルスも。
      ウイルスと呼ばれる多様な敵が一緒くたにはびこる地球に、
      私たちの暮らしは守られるのだろうか。

      何だか鼻の奥がむずむずしてきた。
      くしゃみが出そうだ。
      おそらく、これは花粉症だろう?


      <星野有史>



      | 星野有史 | - | 00:00 | - | - | - | - |
      オカイモノワヨロシイノデスカ
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        オカイモノワヨロシイノデスカ


        軽やかな足取りで歩道を行くシータス。
        おそらくもう少しで止まるだろう。
        そう指示は出していないのだけれど。
        予想した場所でパタッと足が止まった。
        やっぱり……。
        「おいおい、急ブレーキをかけられたら前につんのめるじゃないか」
        私はそう言ってシータスをたしなめるが、本気ではない。
        むしろ気の回しようには感心させられるくらいだ。
        本当はストップを言っていないので
        通過しないといけないのかもしれないけれど、
        ここには何度も利用していたコンビニが。
        だから私が忘れていると思って気を利かしてくれた。
        たぶん。

        菓子や弁当、飲み物、揚物も買った。
        払い込みも。
        とにかく便利だった。
        店員は親切だったし、
        シータスに対しても常に温かく見守ってくれていた(#^.^#)
        けれど……。
        閉店してしまったのだ('_')

        人手不足、時短営業などの問題がニュースになっているのは知っている。
        解決が必要だ。
        それがこの店でも、ということなのだろうか?
        時代の影響は確かにある。
        その歴史、移り変わりは
        社会のニーズ、トレンド、経済を反映していたし、
        地域貢献や災害対策でもコンビニの果たす役割は大きかった。
        一方で個人的には
        盲導犬の入店に理解を促さなければいけないこともあったけれど。
        つまり私にとっては色んな面でその時々を知る試金石になっていたのだ。
        それが無くなってしまったということは、
        私を映す鏡と言うか、
        社会の中で自分を客観的に見ることのできるアイテムを
        一つ失ったような困惑がある。
        そういう意味で言えば
        私はある種のコンビニ人間だったと言えるのかもしれない。

        芥川賞を受賞した村田沙耶香『コンビニ人間』(文藝春秋)を読んだ時、
        私は主人公である彼女の奇妙な行動、価値観に戸惑い、
        ページにしおりをはさむことができなくなった。
        それは彼女が変わり者だとか、
        異常な価値観の持ち主であるようなレベルの話でなく、
        生き方が自分の立場と反対で、
        授業や講演で伝えてきたことと異なる内容であったからだ。
        それはマニュアルに対する考え方の違いだ。

        たとえば私のこんなやり取り。
        身分証の提示が必要だった。
        「自動車の運転免許証はありますか?」と平気で聞く店員。
        自動運転車で来たとでも言うのか!
        それはまだ早いだろう。
        研修で教わったことかは知らないけれど、
        おそらくマニュアルがあって、
        その通りにした、ただそれだけ。
        だとするならまだAIロボットの方がましではないか。
        だから人間であってほしい、と。

        マニュアルは必要なのだが、
        臨機応変に考え、判断し、行動すること。
        コンピューター世代には受け入れにくい課題なのか?
        けれど、そんなステレオタイプ的な社会を変えて、
        個人とか個性を大切にする生き方が求められてきたはず。
        でも、これって結構難しい。
        自分をしっかり持たないと、できない。
        社会の常識とは?
        基準はどこ?
        何がノーマルなの?
        『コンビニ人間』に描かれていた彼女はそれに迷った。
        分からない、と。
        そんな中で自分を安心させてくれたのがコンビニ。
        ここにいることで社会が分かる。
        そこにいれば自分を見失わない。
        まさにそのこと自体が彼女のアイデンティティに。
        マニュアルが彼女の個性を見い出すことにつながる。

        「シータス、ここにあったお店、無くなっちゃったんだよ」
        「…………」
        「だからもう止まらなくていいんだ」
        「どうして?」と今度は首を傾げて返事がきたような……!
        「さあ行こう」
        そう声をかけて進ませる。
        しばらくすればまた別の店になるのだろうか。
        新しいコンビニ。
        そう無人の。
        QRコードをかざしたり、買いたいものを持って出ればいいだけの。
        きっと目の見えない自分には利用できず引き返すしかなくなる。
        このままでは!
        新時代のコンビニ人間とは?
        どうなる私?
        小説の中の彼女は?
        空の店を後にした背に
        「オカイモノワヨロシイノデスカ」と
        そんな音声合成が届いた気がしたのは、私の思い過ごし……だろう!


        <星野有史>



        | 星野有史 | - | 00:00 | - | - | - | - |
        あり得ないこと、みんなで
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          あり得ないこと、みんなで


          これはやばい、と思った。
          かなり厳しい、と頭を抱え込んだのを覚えている。
          病気で視力が低下していく14歳からのこと。
          歩けないのは勿論だけどね、
          まだ中学生だったでしょ、
          高校進学もある。
          黒板の字が見えないだけじゃないんだ。
          教科書を顔に近づけて読もうとしても、活字が溶け込んじゃって白紙に!

          盲学校に入った。
          高校2年生の17歳で全く光がなくなっちゃった。
          少しずつ覚えるようにしていた点字で学習したんだけど、
          触って思うように読めるわけでもないし、
          それでカセットテープに録音してもらったものを聞いて暗記した。
          心理学・福祉学に興味があり、大学を目指したのだが、
          多くは点字で受験できない。
          門前払いってやつ('_')
          それでも何で頑張ってこられたのかな?

          眼痛もあったし、手術を受けて入院もした。
          けれどそばにいてくれる家族があり、友達や先生が心配してくれて、
          点字の問題集はボランティアが、学習塾の講師が家で助っ人、
          進路相談にソーシャルワーカーも熱心に耳を傾けてくれた。
          それらが強い味方であったことは間違いない。
          でも、きっとそれだけじゃない。
          心の奥にあるやりきれなさ、劣等感、理不尽な社会に対する腹立たしさが
          自分を駆り立てた。

          いろんな人たちの協力があって大学に入学できた。
          だけど見えないで勉強していくには、
          それからも同じ様に別メニューを加えなければやっていけない。
          「そんなに勉強好きじゃないし、むしろ嫌いだ。だから……」
          ちょっとだけフルートが吹けたので音楽系サークルを訪ねて回った。
          ダメ、とは言わないけれど、それが伝わる雰囲気だったのでストップ。
          へこんだ。
          そんな時!
          吹奏楽部が誘ってくれて……嬉しかったよ(#^.^#)
          「目が見えないんだって。それじゃ聞いて暗譜できちゃうんだ。すごーい」
          これまで「これも、あれもできない」なんてマイナスばかり並べられてきた。
          それが!

          耳がいいわけでもないし、音楽に秀でているんでもないのに、
          違う角度から可能性を認めてくれた。
          それから演奏会もコンクールも、勉強もして大学院に進めたのは、
          自分で言うのも変だけど、あり得ない!
          そんな学生時代を思い出させてくれた本。

          坪田信貴著
          『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』
          (KADOKAWA)
          有村架純主演で映画化された『映画 ビリギャル』も感動、ジーンときた。

          自分と背景は異なるけれど、
          一から出直しの勉強や学校以外の場で教わってきた経験が重なるからか。
          口惜しさをばねに努力して合格を勝ち取った彼女、
          著者である塾講師の教え方にも驚きの連続!
          しかし、この作品の魅力は受験に関わった全ての人たちが、
          成長していくところにあるんじゃないかって思う。
          家族がまとまり、友達の応援があり、人格的なつながりも、
          つまり“学び合い”があった。
          その本質は自分にも思い当たるところが!

          吹奏楽部を引退する時に先輩から言われた言葉。
          「君に教えられた」と。
          目が見えないのにやっていけるはずがない、と反対していたそうだ。
          その後で知った入部をめぐるサークル内での話し合い。
          自分も一生懸命だったが、それはメンバーにとっても同じだったのだ。
          支えられた自分。
          でも、それは一方的な行為ではなくて……
          交互作用の中で化学反応が起こり、学び合いという答えが導かれた。

          今、自分は教育に携わっているが、そこで大切にしているのが……
          そう、学び合いの関係。

          受験シーズン真っ只中。
          問題集や参考書を広げるのは必須だけどね、
          こうした本を手に取り、
          学ぶことの素晴らしさに触れるのもいいんじゃないかなって。
          全ての受験生に心からのエールを送るよ。


          <星野有史>



          | 星野有史 | - | 22:00 | - | - | - | - |
          令和の花は嘘をつかない
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            令和の花は嘘をつかない


            12月を師走なんて言いますが、
            この時期だけでなく、
            あっという間の一年に感じられるのは私だけでしょうか?
            元号が令和に変わってすでに8ヶ月!
            平成がどんどん小さくなっていく中に、
            何か大切なものさえも見えなくなっていくようで、
            そんな不安にかられることも。

            今年も高校・大学、市民講座などで講演をする機会に恵まれました。
            アイメイト(盲導犬)についての理解はもちろん、
            人権・福祉の課題を共に学ぶ時間にできたことは大きな喜びです♪
            「社会参加は犬の話ではなく、人権問題であること」
            「進路に行き詰まった時に自分の道を作る生き方が参考になった」など。
            言葉が足りず上手に伝わらなかった点、
            もっと聴いていただいている皆さんと一体感が作れたら。
            そんなふうに反省するところはあるのですが、
            こうしたリアクションには私自身励みになるばかりでなく、
            大いに勉強させられるところでもあります。
            ですが、
            そんな中には気になる内容も!!!

            〈学生の感想〉

            盲導犬が目的地を知っているわけではないので道に迷うことだってある。
            そんな時は人に尋ねると。
            でも、きっと私が見えなかったら教えてもらえたとして信じられるかどうか。
            無理かも。
            だまされている。
            そう感じるでしょう。
            だから、
            もし自分が見えなくなったら
            白杖でも盲導犬と一緒でも一人で外出なんてできません。
            おそらく引きこもると思います。

            視覚障害者の自立や社会参加、助け合いを否定しているわけでもなく、
            それに私の話に反論しているのでもない。
            けれど、何かが違う。
            他の人とは。
            それは一体何なんだろう。

            一般的な解釈はこうかもしれません。
            この学生がネガティブ思考で疑い深い面があり、
            それが自己防衛を強める結果になっている。
            トラウマになるほどの嫌な経験があり、
            人と関わるのが極度に苦手。
            いずれにしても個人の問題であって、
            メンタルな部分での理解が必要なのでは。
            そう考えれば人を信じられずに
            自分の殻に閉じこもるかもしれないことを示唆したこの学生が特別か。

            私はもやもやしている気持ちの奥底を探るべく、
            何度もそのメッセージを繰り返しました。
            そのうち
            そんな学生の真意を読み取れるような……
            今年の出来事が次々と浮かんできたのです。

            いじめの問題は後を絶ちません。
            命を絶つ取り返しのつかないケースも。
            それが教育者同士のいじめまで表面化し、
            ニュースになったのでは誰を信頼すればよいのやら。

            虐待も、
            SNSで知り合った人に監禁、そんな事件もありました。

            引きこもりは子どもたちだけでなく、大人も。
            ハラスメントにあって職を追われる。
            自殺せず逃げ込んだ安心の居場所。
            しかし、中にはそこから派生する報道も耳に!
            親子関係の破綻や地域トラブル、
            人を傷つけた事件まで。

            お年寄りには相変わらずのおれおれ詐欺、
            アポ電なんて手荒な犯行も。

            政治はどうか。
            記録の改竄、破棄。
            何度聞いても無理のある答弁を信じられるはずもありません。

            これらのことに目をつぶらなければ生きていけない社会。
            私はつぶらなくても見えないので疑いもせず
            人に道をたずねられるなんてわけではありませんよ。
            電車で隣りに座った人にさえ
            盲導犬にいたずらするのではないか、なんて不安も。
            だとするならば
            外に出られるか内にこもるかは紙一重。
            そんなふうに思うと
            人を信じられないとあった学生の心理にもうなずけるのです。

            確かに社会はおかしいです。
            けれど、
            それでいいわけではありません。
            変えていく必要がありますよね。
            大きなことはできませんが、
            自分にできることでいい。
            そういうことを講演会で伝えたかった。

            新しく「令和」が発表された時、
            そこに込められた思いを聞いて
            私はずいぶん考え抜かれた元号だと驚かされました。
            一人ひとりが明日への希望とともに、
            それぞれの花を大きく咲かせることができる、
            そうした日本でありたいと……。

            そのためには
            太陽も水も風も土壌もなければ花は咲きません。
            人は?
            色々な条件はあると思いますが、
            「信頼」は絶対でしょう。
            それが感じられる社会環境を築くこと。

            来年、桜の時期に
            嫌な政治のニュースがよみがえらないような春を望みたいものです。


            <星野有史>



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